こんばんは.
まるめがねです.
今回は前回の続きである三国志について語っていこうと思います!
もしよろしければ見ていってください!
ちなみに前回の記事はこちらになります.
孫策の最後
孫策と言えば領土を確立し, 呉の基盤を作った人物ですね.
孫策が17歳の時に父である孫堅がなくなり, 袁術の配下として生きていくことになります.
袁術の性格は疑い深く, 人使いが荒いため, 孫策は何とか兵を集めて袁術のもとから出たいという気持ちが強くなり, 父親が見つけた玉璽を兵と交換し, 独立します.
そして, 集めた兵たち・太史慈や幼馴染である周瑜と共に領土を拡大していき, 皆が恐れるほどの勢力になっていくんですね!
ただ, そんなか病で倒れてしまいます.
三国志演技の中では, 于吉という超能力者を殺し, その亡霊によって命を落としています.
26歳という短い期間でしたが, その勢力は弟である孫権に引き継がれていくのです.
詳しく見たい方はこちらをどうぞ!
https://hajimete-sangokushi.com/2019/09/21/于吉と左慈/
周瑜の最後
曹操の一強であった時代に劉備と孫権が結託し, 赤壁の地にて曹操の軍を打ち破った戦いのシーンが描かれていますね!
基本的に劉備は諸葛亮を派遣し, 敵軍の船の方向に火が舞い上がるように風を吹き起こしたのですが, それ以外はほぼ孫堅の兵が戦っています.
それなのに, 呉の地として最も欲しかった地である荊州を諸葛亮の策により取られてしまいます.
赤壁の戦いで勝った勢いをそのままに, 曹操の領土を攻めていたのですが周瑜は途中でケガをしてしまい, そして荊州を諸葛亮に取られたことで, 怒りが災いし亡くなってしまいます.
周瑜は呉の軍師として活躍していたため, この時期に亡くなってしまったことは呉にとって痛い出来事だったでしょう. その次に出てくる陸遜もまだまだ若いですし、、、
そして, この荊州の地というのは後々に蜀と呉の因縁の場所となってしまうのです.
龐統の最後
諸葛亮が臥龍と呼ばれ, 龐統が鳳雛と呼ばれる二人の天才のうちの一人ですね.
ただ, 見た目があまりに酷かったため仕えた最初の頃は重宝されていませんでした.
しかし, 諸葛亮の助言により軍師として抜擢されます.
この頃の劉備は確立した領土を持っていなく, 荊州も呉から借りているという状況でした.
そのため, 龐統は益州という土地をどうしても奪取したいと考えていました.
ただ, 益州は同じ劉璋という劉のつく人物が治めており, 劉備は土地を略奪をしたくないのであります.
そこで, 龐統は3つの策(最上の策・次策・最悪の策)を提案し, 劉備にしくしく次策を選ばせるという手段を取ります.
それが功を奏し, 劉備は益州を攻めみごとその地を治めることができます.
ただ, その戦いの中で龐統は落鳳坡という場所で戦死してしまいます.
演技では機敏な劉備の馬を借りたことで, 劉備だと勘違いされてしまい大量の矢を受けて亡くなります.
災いをもたらす的蘆がここにきて効果を発揮してきましたね、、、
個人的には臥龍もしくは鳳雛をどちらか手にすれば, 天下統一できると言われていた人物であったため, 登場してすぐに亡くなってしまったのはとても残念です.
夏侯淵の最後
曹操の初期の頃から仕えていた夏侯淵.
曹操にとっても信頼を置いていた人物でした.
この時期の曹操は孫堅や蜀の地を手に入れて勢いに乗る劉備の軍に攻撃をされていました.
そのため兵力が分散されてしまい, 少ない兵で夏侯淵は劉備の軍と対峙するのです.
しかし, 夏侯淵の分が悪く・判断ミスもあり年配の黄忠に倒されてしまいます.
余談ですが, 夏侯淵も黄忠も弓の達人であるため, 三国無双のムービーでは弓同士の対決が描かれていますね.
関羽の最後
蜀は定軍山の戦いにて魏との対決に勝利し, 漢中王にまでなった劉備.
そして荊州を守っていた関羽もそのいきおいに乗じて, 魏が治めていた樊城を攻めます.
水攻めも成功し, 魏の重鎮である曹仁を追い詰めたものの, まさかの援軍が来るのです.
それが呉の軍勢だったのです.
もともと荊州という地は呉が欲しかった場所であり, そこにずっと居座っていた蜀の軍勢が鬱陶しいかったわけです.
まさかの呉からの攻撃もあり, 関羽は一気に窮地に陥り, そして呉の将である呂蒙に敗れ散っていくのです.
呉が蜀に攻撃したのはなぜ?
呉は濡須口の戦いや合肥の戦いにて魏に攻められたり, 攻めたりを繰り返していました.
呉はそれでかなり疲弊してしまったため, 魏との同盟を結ばざる負えない状況になっていました.
それで呉は魏と同盟を結び, 荊州を攻めていった経緯があります.
また関羽はプライドが高い人間であったため, 関羽の娘と孫堅の息子との結婚を暴言を吐いて断りを入れます.
その断り方がまさに関羽です(笑)
「虎の娘を狗の子にやれるか!」
そりゃ孫堅も怒りますよ!
諸葛亮から天下三分の計を受け, いかに荊州と言う地が大切であったのかを説かれたのに, 関羽も死, 荊州も奪われてしまったのは, 蜀好きにとってはとても悲しい出来事ですね.
そして関羽の死を境に, 蜀の快進撃はついえてしまいます.
麻酔なしで外科手術
西暦200年代でまさかの外科手術が行われます!
しかも関羽は麻酔なしで外科手術を受けるのです.
ブラックジャックもびっくりですね(笑)
これは, 樊城の戦いにおいて敵の毒の弓矢が腕に刺さり, 手術が必要な状態に追い込まれたため, 三国志の名医である華佗に治療を受けることとなったためです.
関羽のすごいところはこれだけじゃないんです.
麻酔なしの外科手術はとてつもない痛みがあるにも関わらず, 囲碁をしながら手術を受け, 平然と過ごし, 手術を終わらせたのです.
周りは険しい顔をしていたにも関わらず, 関羽は談笑していたとか, これはあっぱれですね(笑)
曹操の最後
ついに曹操も寿命がついえます.
魏という大国をここまで大きくさせたのは曹操あってのことでしょう.
ただ, 曹操は皇帝にはなっていないんです.
魏の皇帝となったのは息子の曹丕です.
曹操は息子の曹丕が皇帝になるためのお膳立てを行い, この世を去ります.
そして曹操の葬儀は, とても質素なものであったと言われます.
乱世が収まっていない中で, お墓を豪華にするべきではないと言ったみたいですね.
曹操と関羽の関係性
三国志演技では, 呂蒙から送られてきた関羽の首が届いて以来ずっと偏頭痛に悩まされることになり, そして亡くなってしまいます.
曹操は関羽をどのように見ていたのでしょうかね.
曹操は関羽の武勇に惚れ, 褒美をあげたり, 中国一の名馬である赤兎馬まであげ, ご機嫌取りを一生懸命やっていたのにも関わらず, 劉備のもとへと行ってしまい, 最後は散ってしまいましたから, 複雑な心境があったはずです.
ちなみに曹操が関羽の首を見た時, 関羽の首は毛が逆立ち, 怒り狂っていた様子だったため, その様子がずっと忘れられなかったのだとか.
おわりに
いかがでしょうか.
Part2に行きながら, まだ終わってない状況となってしまいました(笑)
三国志ってあまり需要無いのだろうなと思いつつ, 三国志の面白さを誰かに届いてくれないかと思いながら書いています!
もし需要があったらコメント欄に書いて頂けると, 三国志のネタを書くモチベーションになりますので, よかったらコメください(笑)
それでは!!
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