こんばんは.
まるめがねです.
今回は中邑真輔の記事を書いていこうと思います.
よかったら見てみてください!!
中邑真輔の生い立ち
中邑真輔の生い立ちをざっくりと紹介していきますね!
中学生時代はバスケットボール
高校時代はレスリング
大学時代はレスリング・美術部
をやっていたみたいですね!!
大学はなんと青山学院大学です.
ちなみに中邑選手は新日本プロレスの入団前に総合格闘技のトレーニングを行っています.
そして, 2002年に新日本プロレスに入団しています.
同期としては, 山本尚史, 田口隆祐, 後藤洋央紀選手がいますね.
新人の時の練習は大変だったみたいで, 入団前はウエイトトレーニングで体を大きくしたものの, スクワット1000回といった基礎体力を身に着けておらず, 地を這って部屋に戻ってたみたいです.
それも昔の新日本プロレスの道場は激熱で, 練習がすごく嫌だったとか.
総合格闘技時代
2000年代前半と言えば, K-1といった総合格闘技の時代.
プロレスといった, 強さに疑問符を持つような試合は人気がなくなってきました.
そこで, プロレスラーは強いってことを証明するために, 中邑真輔に白羽の矢が立ったのです.
他のプロレスラーが負けていく中, 5試合中3勝と勝ち越しを決めたのです.
そういったこともあり, 中邑選手は注目されていくようになりました.
最年少でのIWGPヘビー級チャンピオン
中邑選手と言えば, 新日本プロレスの最高峰であるIWGPヘビー級王座を23歳と8カ月で戴冠しています.
これは, かなり早いスピードです.
本来なら, 30代になって巻けるか・巻けないかのレベルですから.
相当期待が高かったと思います.
IWGPインターコンチネンタル王座
中邑選手と言えば, インターコンチネンタルですね.
同じチームであるオカダカズチカ選手の台頭があり, IWGP戦線に名乗りを上げるのが難しくなってきました.
そこに目を付けたのがもう一つのIWGPのベルト
IWGPインターコンチネンタルです.
中邑選手は, 歴代の選手が積み重ねてきた権威であるIWGPのベルトをIWGPインターコンチネンタルという「まっさらな」状態から自分の力で輝かせて行こうと思ったんですね.
そして, いろんな選手と試合を行い, ついにプロレスラーの最大の名誉である1.4東京ドームのメインイベントにIWGPインターコンチネンタル王座が選ばれたのです.
これは, 歴史的に見てかなりの快挙です.
ただ,東京ドームのメインイベントでは負けてしまい, そのあと三試合連続でインターコンチネンタルに挑戦しています.
これはもう, 執念であり, 棚橋選手がかわいそうに思いました(笑)
WWEに旅立つ
中邑選手は, 2016年の1.4東京ドームにて, WWEのスーパースターとなったAJスタイルズと試合を行います.
この試合が終わり, 数日後にインターコンチネンタルの返上を行います.
そして, 世界の最高峰のプロレスの舞台であるWWEに旅立ちます.
中邑選手が新日本プロレスを脱退してしまったのはとても悲しいですね.
ただ, 中邑選手は海外の評価がとても高かったので, WWEに行ってしまったのは仕方がないところです.
クネクネの理由
中邑選手と言えば, かなり独特な動きをします.
昔は, かなりの武闘派であり, 今のようなクネクネの動きはありませんでした.
これの理由をNunberというスポーツ雑誌で見たのですが, 中邑選手は体を動かすときに軸がブレているというのを蝶野選手から指摘されていたみたいです.
軸をブラさずにしっかりと打撃を加えるというのが指導だったみたいですが, 中邑選手はそれを聞かずに思いきり軸をブレさせたのがきっかけみたいです.
これを機に中邑選手は個性を爆発させた気がします.
おわりに
いかがだったでしょうか.
僕がプロレス見るきっかけとなった中邑選手.
個性が溢れていて魅了されます.
まさにカリスマ(笑)
プロレスはなかなか受け入れられませんが, よかったら中邑選手の試合を見てみてください!
それでは!!
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